うだるような暑さ、という言葉すら生ぬるい、高校一年の夏休みだった。
七月の終わり。周囲の友人たちが部活や夏期講習、あるいは恋人とのデートに忙しくしている中、私は最悪の通知を受け取っていた。
「水泳補習対象者」。
要するに、一学期の体育の授業で規定の距離を泳げなかった「カナヅチ」たちを集めた、お情けの居残り練習である。
会場は、校舎の裏手にある、年季の入った屋外プール。
夏休みの静まり返った学校に、容赦なく降り注ぐ太陽の光と、けたたましい蝉時雨。そして、風に乗って漂ってくる強い塩素の匂い。それだけで、私の自意識はズタズタに傷ついていた。
その補習は、生徒の人数や指導の効率化のために、男女で厳格に時間が分けられていた。
男子は午前の部(10:00〜12:00)、女子は午後の部(13:00〜15:00)。
ただでさえ泳げない姿を晒すのが恥ずかしい年齢だ。せめて女子と顔を合わせずに済むことだけが、唯一の救いだった。
しかし、あの八月の第二火曜日。
いくつかの偶然と、私自身の不手際が重なり合った結果、私は生涯忘れることのできない「地獄」、そして同時に、奇妙な熱を孕んだ、あまりにも無防備な時間を経験することになった。
その日の午前中の補習は、いつも以上に過酷だった。
体育教師の熱血漢な指導のせいで、2時間みっちりバタ足と息継ぎを繰り返させられ、私の体力は限界を迎えていた。
「よし、今日の補習はここまで! 各自、速やかに着替えて解散!」
正午のチャイムと同時に、先生の声が響いた。他の男子たちは、解放感から雄叫びを上げながら、一斉に男子更衣室へと駆け込んでいった。
私も泥のように重い体を起こし、這うようにしてプールサイドを歩いていた。その時だった。
「あっ――」
濡れたコンクリートの床。すっかり磨り減ったビーチサンの底が、ぬめった苔の生えた排水溝の縁でツルリと滑った。
バランスを崩した私は、防ぐ間もなく、プールサイドの硬いコンクリートに文字通り「盛大に」転倒したのだ。
鈍い音が響き、右の膝と太ももに激痛が走った。見ると、皮膚が派手にめくれ、赤黒い血がじわじわと溢れ出してくる。
「おい、大丈夫か!」
まだ残っていた先生が慌てて駆け寄ってきた。他の男子たちはすでに更衣室の中でガヤガヤと騒いでおり、私の大失態に気づいていない。
私は先生に肩を貸され、プールサイドの隅にあるプレハブの救急スペースへと運ばれた。
傷口を水道水で洗い流され、脱脂綿で血を止め、真っ白な包帯をグルグルと巻き付けられる。
「しばらくじっとしてろ。血が止まったら着替えて帰れよ」
先生はそう言うと、午後の女子の部の準備のために、職員室へと戻っていった。
救急スペースの簡易ベッドに横たわりながら、私はじっと痛みに耐えていた。
壁の時計の針が、チクタクと音を立てて進んでいく。
12時20分。12時30分。
ようやく痛みが引き、血が止まった頃には、すでに他の男子たちは全員、着替えを終えて帰路についていた。
静まり返ったプール。私は一人、重い腰を上げて、誰もいない男子更衣室へと向かった。
男子更衣室の中は、冷房もなく、むっとするような熱気がこもっていた。
ついさっきまで男子たちが騒いでいた名残として、床のあちこちに水滴が落ちており、湿った空気が肌にまとわりつく。
時計は12時45分を回っていた。
「早く着替えて、ここを出ないとマズいな……」
女子の部は13時からだが、真面目な奴なら早めに来るかもしれない。そんな焦りがありながらも、右足の包帯を濡らさないように細心の注意を払う必要があったため、どうしても動作が緩慢になってしまう。
私は壁に寄りかかりながら、まずは濡れたラッシュガードを脱ぎ、そして、腰に引っかかっていた濡れた競泳用の水着を、ゆっくりと下にずらしていった。
怪我をした右足のふくらはぎを慎重に通り抜け、水着が完全に足首から離れる。
下着はまだ身につけていない。
文字通り、一本の糸すら身にまとっていない、完璧な全裸の状態。
ふぅ、と小さくため息をつき、棚に置いてあったバスタオルに手を伸ばそうとした。
まさに、その一瞬だった。
――ガラガラガラッ!!!
更衣室の木製の引き戸が、何の躊躇もなく、勢いよく開け放たれた。
「うわ、めっちゃ暑いじゃんここ!」
「ちょっと、男子の匂い残っててサイテーなんだけど!」
けたたましい女子の声が、狭い更衣室の中に響き渡った。
心臓が、ドクンと嫌な音を立てて跳ね上がった。
入ってきたのは、午後の部に参加する女子生徒たちだった。しかも、クラスでも目立つグループの三人組――いつも前髪を気にしているサキ、バレー部でスタイルの良いマイ、そして、普段は大人しいけれど妙に鋭い目を持つ委員長のチエ。
本来なら、男子更衣室に女子が入ってくるはずがない。
しかし、夏休みの補習というイレギュラーな状況。さらに、普段は閉まっているはずの「男子更衣室と女子更衣室を繋ぐ中央の管理用扉」が、先生の不手際か何かで解錠されたままになっていたのだ。彼女たちは女子更衣室に入ったついでに、「ちょっと男子の方どうなってんの?」と、軽い肝試しのノリで扉を開けてしまったらしかった。
だが、そんな理由は今の私にはどうでもよかった。
重要なのは、「私が完璧な全裸で、タオルすら持っていない状態で、彼女たちの正面に立っている」という事実だけだ。
「え――」
サキの声が、途中で掠れた。
三人の女子の動きが、同時にピタリと止まった。
そこからの数秒間、更衣室の中は、音が完全に消え去ったかのような静寂に包まれた。蝉の声すら、遥か遠くのことのように思えた。
私は、右足をかばった奇妙な姿勢のまま、完全にフリーズしていた。隠そうにも、手元にタオルはない。両手で前を隠すという、あまりにも惨めで情けないポーズを取るのが精一杯だった。
容赦のない真夏の昼下がりの光が、窓から更衣室の床を照らし、私の全身をこれ以上ないほど鮮明に浮かび上がらせていた。
普通のシチュエーションなら、女子は大悲鳴を上げて逃げ出すか、「変質者!」と叫ぶ場面だろう。
しかし、彼女たちは逃げなかった。
あまりにも突然の、そしてあまりにも完璧な「男子の全裸」を目の当たりにして、彼女たちの脳もまた、処理を拒否してフリーズしていたのだ。
視線が、私の全身を突き刺す。
サキは、両手で口を覆ったまま、目を見開いて私の顔と、それからゆっくりと視線を下げて、私の腰元を凝視していた。彼女の頬が、見る見るうちに耳の裏まで真っ赤に染まっていくのが分かった。
バレー部のマイは、驚きの中にも、どこか好奇心の混じったような、生々しい視線で私の身体を凝視していた。高校生男子の、まだ少し細いけれど、筋肉のついた引き締まった肉体。そして、その中央にある「男としての象徴」を、彼女の瞳は確かに捉えていた。
一番恐ろしかったのは、委員長のチエだった。
彼女はフッと息を呑んだ後、じっと私の目を見つめてきた。その瞳には、侮蔑や怒りではなく、何か「見てはいけない、けれど目が離せない不可抗力」に囚われたような、妖しい熱が宿っていた。
誰も、一言も発さない。
私の胸元が、激しい呼吸で上下する。心臓の鼓動がうるさいほどに耳の奥で鳴り響く。
恥ずかしさと、屈辱。けれど同時に、私の頭の芯を痺れさせるような、強烈な「感覚」が襲ってきた。
クラスの女子たちに、自分のすべてを見られている。
その圧倒的な事実に、私の身体は、私の意志とは裏腹に、どうしようもない反応を示し始めていた。
パニックによる血流の上昇か、あるいは男としての本能的な昂ぶりか。赤黒い熱が、私の顔から首筋、そして全身へとドクドクと広がっていく。
私の手元で、隠しきれなくなった「男の証明」が、微かに、けれど明確な存在感を主張し始める。
「あ……」
マイの口から、小さく、吐息のような声が漏れた。彼女たちの視線が、その変化を逃さず、さらに一歩踏み込むように熱を帯びた。
その瞬間、チエがハッと我に返ったように、サキとマイの腕を掴んだ。
「……っ、行くよ!」
チエの引き攣った声と同時に、三人は弾かれたように後ろを向き、ガラガラと激しい音を立てて扉を閉めた。
後に残されたのは、狂ったように心臓を波打たせ、熱気に満ちた更衣室の真ん中で立ち尽くす、全裸の私だけだった。
その後、私がどのようにして服を着て、どのようにして家に帰ったのか、記憶は曖昧だ。ただ、自転車を漕ぐ足がガタガタと震えていたことだけを覚えている。
翌日からの夏休み、そして二学期が始まってからも、あの三人との間で「あの日の出来事」が言葉にされることは、一度もなかった。
しかし、私たちの間の空気は、確実に一変していた。
教室ですれ違う瞬間、サキは不自然に目をそらしながらも、私の首筋や手元をチラチラと盗み見るようになった。マイは、目が合うとフッと意味深な笑みを浮かべ、わざと私の近くを通るようになった。
そしてチエは、日直の仕事などで二人きりになると、あの更衣室の時と同じ、じっとりとした熱い視線で私の目を見つめてくるのだった。
言葉には出さないけれど、彼女たちの頭の中には、あの真夏の光の中で晒されていた、私の真っ赤に昂ぶった全裸の記憶が、焼き付いている。そして私自身も、彼女たちに見られるたび、あの日の更衣室の塩素の匂いと、全身を貫いた強烈な快感とも言えるスリルを思い出し、下腹部が熱くなるのを抑えられなかった。
あれは、苦くて、情けなくて、けれど私の自意識を永遠に狂わせてしまった、真夏の狂気のような思い出だ。

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