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実家の風呂で眠りについて姉に

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実家の風呂というのは、どうしてあんなに無防備な記憶を呼び起こすのだろう。
東京での一人暮らしも長くなり、ユニットバスの狭い浴槽で効率よく身体を洗うだけの日々に慣れきっていた。だからこそ、久しぶりに帰省した実家の、あの無駄に広いタイル張りの浴室は、私をひどく弛緩させたのだ。
季節は秋の終わり。外の冷たい空気に晒されて冷え切った身体を、並々と張られた湯に沈める。
「はぁ……」
思わず声が漏れた。湯気で白く煙る空間の中、懐かしい入浴剤の香りが鼻腔をくすぐる。実家の湯船は深く、肩までしっかりと包み込んでくれる。お湯が肌に触れるたび、日々の仕事のプレッシャーや、都会の喧騒で張り詰めていた神経が、一枚ずつ剥がれ落ちていくようだった。
最初は、ただぼんやりと天井の水滴を眺めていた。
実家の天井には、私が小学生の頃につけた、小さな傷がまだ残っている。
「あの頃は、姉貴とよく一緒にお風呂で遊んだっけな……」
そんな他愛のない思い出が頭をよぎる。湯の温かさがじわじわと身体の芯まで染み渡り、心地よい浮遊感が全身を支配し始めた。
四肢の境界線が、お湯に溶けていくような感覚。
まぶたが、鉛のように重くなっていく。
抗おうという意志すら、温かい湯の中に霧散していった。
――どのくらいの時間が経ったのだろう。
「ちょっと、いつまで入ってるのよ」
耳元で、現実の音がした。
低く、少し呆れたような、でもどこか焦ったような、聞き馴染んだ声。
引き上げられるようにして意識が覚醒する。しかし、眠気が強すぎてすぐには目が開かない。
「……ん……」
「『ん』じゃないわよ。お湯、すっかり冷めちゃってるじゃない」
パシャ、と顔に冷たい水滴が飛んできた。
驚いて勢いよく目を開けると、すぐ目の前に、湯気で少し上気した姉の顔があった。
驚いた。本当に、文字通り心臓が跳ね上がった。
姉は、浴室のドアを開け、脱衣所から身を乗り出すようにして私を覗き込んでいたのだ。
湯船の縁に両手を突き、私の顔を覗き込むその距離は、わずか数十センチ。
髪をヘアクリップでラフにアップにして、部屋着のTシャツの袖を捲り上げている。
「あ……」
声にならなかった。
状況を理解した瞬間、一気に全身の血が逆流するような猛烈な恥ずかしさが襲ってきた。
いくら実家とはいえ、いくら血の繋がった姉とはいえ、私はもう立派な大人だ。しかも、完全に無防備な全裸の状態で、湯船の中で爆睡していたのだ。お湯は姉の言う通りぬるくなっており、私はだらしなく首をのけぞらせて寝ていたに違いない。間抜けな寝顔を見られたかもしれないという恐怖と羞恥心で、顔がカッと熱くなるのが分かった。
「お、おい! なんで入ってくるんだよ!」
私は慌てて、お湯のなかに身体を小さく丸めて沈めた。水面で必死に身体を隠そうとする私の見苦しい抵抗を見て、姉はふっと呆れたように笑った。
「なによ、入ってから一時間以上経っても出てこないから、中で死んでるんじゃないかって心配したんでしょ。全く、お風呂で寝たら危ないっていつも言われてるでしょ」
そう言って、姉は私の頭を、子供をあやすようにポンポンと軽く叩いた。
その手のひらの温もりが、濡れた髪を通して頭皮に伝わる。
「……悪かったよ。でも、ノックくらいしてくれよ」
私が顔を真っ赤にしながらへりくだると、姉は「はいはい、ごめんね。早く上がりなさい。風邪ひくよ」と言い残し、パタンと浴室の扉を閉めた。
浴室に、再び静寂が戻る。
しかし、さっきまでの静寂とは明らかに違っていた。
私の心臓は、さっきの恥ずかしさとは別の理由で、ドクドクと激しく脈打っていた。
胸の奥が、妙に熱い。
「嬉しかった」のだ。
その事実を自覚した瞬間、さらに恥ずかしさが上書きされた。
東京での孤独な生活では、私がいつ寝ようが、いつ起きようが、あるいは湯船でそのまま意識を失おうが、誰も気にかけてくれない。自己責任という冷たい言葉のなかで生きている。
だけど、ここには私を心配して、生存を確かめにきてくれる人がいる。
呆れながらも、頭を撫でてくれる人がいる。
姉が触れた頭のてっぺんが、まだじんわりと熱い。
彼女の、少し心配そうな、でも私を見つけて安心したようなあの瞳が、網膜に焼き付いて離れなかった。子供の頃から変わらない、ぶっきらぼうだけど温かい姉の距離感。それが、大人になった今でも自分に向けられていることが、たまらなく愛おしく、そしてどうしようもなく胸を締め付けた。
恥ずかしくて、顔を上げられない。
でも、胸の奥から湧き上がるどうしようもない幸福感で、ニヤけそうになる口元を必死に抑える。
私は一人、ぬるくなった湯船の中で、狂ったように高鳴る鼓動をなだめるように、自分の両肩を抱きしめた。
「……早く、上がらないとな」
実家の風呂は、やっぱり温かい。
お湯の温度は下がっていても、私の身体と心は、のぼせてしまうほどに熱くなっていた。

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