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昔カメラ店の女性店員に

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一九九〇年代の終わり、地方都市のロードサイドにあるカメラ店は、どこも独特の匂いが染みついていた。酢酸のような、ツンと鼻を突く薬品の匂い。そして、現像機の駆動音が低く響く、どこか薄暗い空間。

十四歳だった僕――アキラは、自転車のペダルを強く漕ぎ、その店の自動ドアをくぐった。ポケットのなかには、修学旅行の数日前にコンビニで買った「写ルンです」が一本、転がっている。

プラスチックの軽い筐体。親指でギアを「カチカチ」と重くなるまで回し、ファインダーを覗いてシャッターを切る。あのチープな手応えのなかに、まさかあんな代物が混ざっているなんて、店に入る直前まで僕はすっかり忘れていたのだ。

「いらっしゃいませ」

カウンターの向こうから声をかけてきたのは、見慣れた店主の頑固そうな老人ではなく、見知らぬ若い女性だった。二十代前半くらいだろうか。緩くウェーブのかかった髪を後ろで束ね、店のロゴが入ったエプロンを着ている。都会の大学生のような、あるいは少し年の離れた綺麗なお姉さんのような、独特の落ち着いた雰囲気を纏っていた。

その瞬間、僕の心臓がどくりと跳ねた。

(待て。あのカメラ、最後に何を撮ったっけ……?)

脳裏に、数日前の実家の風呂場の光景が鮮烈によみがえる。

中間テストが終わり、妙に解放的な気分になっていた。誰もいない家で、湯船に浸かりながら、僕は悪戯心と、言葉にできない衝動に駆られたのだ。湯気で曇る鏡の前に立ち、フラッシュのスイッチを押し上げる。

「ウィィィィン」という、あの独特の高音の充電音が静かな浴室に響く。

そして、レンズを自分に向けた。

バシャ、と白光が弾けた。

撮ったのは、自分の全裸の姿だった。まだ大人の男になりきれていない、ひょろひょろとした、しかし確実に変化しつつある十四歳の肉体。

「あ、あの……現像、お願いします」

引き返すには遅すぎた。僕は緊張で声がうわずりながらも、ポケットから使い捨てカメラを取り出し、プラスチックのカウンターにコト、と置いた。

女性店員は「はい、お預かりしますね」と、人当たりのいい微笑みを浮かべた。その指先がカメラに触れた瞬間、僕はまるで自分の秘密の核心を掴まれたような、奇妙な戦慄を覚えた。

「同時プリントで、サイズはL版でよろしいですか?」

「あ、はい。それで」

「では、仕上がりは明日の夕方五時以降になります。こちらの引換券をお持ちくださいね」

彼女の事務的な、しかし澄んだ声が耳に心地よく響く。僕は逃げるように店を後にした。

自転車を漕ぎながら、胸の鼓動は一向に収まらなかった。現像機は、あの暗室のなかで僕の裸を容赦なく紙の上に焼き付けるのだ。あの綺麗なお姉さんがそれを見るのだろうか。それとも、あの無愛想な店主だろうか。

「どうか、おじさんの方でありますように」

神仏に祈るような気持ちで、僕はその夜、なかなか寝付けない時間を過ごした。

翌日の夕方、空は不気味なほど綺麗な茜色に染まっていた。

僕は部活のジャージ姿のまま、昨日と同じカメラ店の前に立っていた。自動ドアが開く。薬品の匂い。そして、カウンターの向こうにいたのは――昨日と同じ、あの若い女性店員だった。

心臓が、肋骨の裏側を激しく叩き始める。

僕は震える手でポケットから茶色い引換券を取り出し、彼女に差し出した。

「お願いします」

「はい、お預かりします」

彼女は背後の棚から、ネガとプリントが収められたお馴染みの黄色い紙袋を取り出した。その瞬間、彼女の手が一瞬だけ止まったように見えた。いや、それは僕の過剰な自意識が見せた幻覚だったのかもしれない。

しかし、カメラ店のルールが、僕を絶望の淵へと突き落とした。

「仕上がりの枚数と、中身のご確認をお願いします」

彼女は袋から、現像されたばかりの写真を何枚か引き出した。

最初の数枚は、修学旅行のバスのなかで友人とふざけ合っている写真だった。ピースサインをする僕。変な顔をする友人。

「一枚、二枚、三枚……」

彼女は手際よく写真をめくっていく。僕の目は、彼女の指先と、次に出てくるであろう「それ」に釘付けになっていた。喉がカラカラに乾き、唾を飲み込む音さえ店内に響いてしまいそうだった。

そして、その時は来た。

パサリ、と厳かにめくられた写真。

そこには、明らかに毛色の違う、暗い背景が写っていた。

湯気で白く霞むタイルの壁。そして、フラッシュの強烈な光を浴びて、異様なほど白く浮かび上がっている、少年の全裸の身体。

時間が完全に停止した。

彼女の指が、ピタリと止まる。

僕の視線は、写真から彼女の顔へと吸い寄せられるように動いた。

彼女は、じっとその写真を見つめていた。ほんの数秒のことだったのだろう。だが、僕にとっては永遠のようにも思える時間だった。

彼女の綺麗な瞳が、僕の露悪的な、そしてあまりにも無防備なプライベートを正確に捉えている。

その表情は、驚きに目を見開くでもなく、嫌悪感に顔を顰めるでもなかった。ただ、一瞬だけ、本当に一瞬だけ、彼女の長い睫毛が揺れ、頬がほんのりと、夕焼けの色を移したように赤くなった気がした。

彼女は小さく息を吸うと、何事もなかったかのようにその写真を次の写真の下へと滑り込ませた。

「……はい、全部で二十四枚、綺麗に撮れていますね」

その声は、昨日と変わらずプロフェッショナルで、優しかった。だが、その声のトーンのなかに、僕を子供としてではなく、ひとりの「男」として認識してしまったがゆえの、微かな戸惑いのようなものが混じっているのを、僕の敏感な触覚は逃さなかった。

「ありがとうございました」

代金を支払い、紙袋をひったくるように受け取ると、僕は挨拶もそこそこに店を飛び出した。

顔から火が出る、とはまさにこのことだった。耳の裏まで熱い。恥ずかしさと、情けなさと、取り返しのつかないことをしてしまったという後悔で、視界が歪みそうだった。

(見られた。あのお姉さんに、僕の全部を、見られたんだ)

自転車のペダルをめちゃくちゃに踏み込みながら、僕は心の中で叫んでいた。あの湯気の中の、滑稽で、未成熟な自分の身体。それを、あの都会的で綺麗な女性が、まじまじと見つめていたのだ。

世界中の誰も自分を知らない場所に消えてしまいたいほどの羞恥心が、僕の全身を支配していた。

夜になり、家族が寝静まった自室。

机の蛍光灯の明かりだけを頼りに、僕は昼間受け取った黄色い紙袋を開けた。

友達との賑やかな写真の束をめくり、一番底に隠されていた「あの写真」を取り出す。

自分の部屋で、改めて見るその写真は、昼間の店舗での狂おしいほどの恥ずかしさを鮮明によみがえらせた。

フラッシュで白飛びした僕の胸、細い腰、そして――。

昼間、あの店員の女性の指は、確かにこの写真の端に触れていた。彼女の視線は、この紙切れの上に注がれていたのだ。

その事実を認識した瞬間、僕のなかで何かが奇妙な変質を始めた。

昼間、あれほど僕を苦しめた「羞恥心」という冷たい刃が、じわじわと熱を帯び、全く別の感情へと溶けていくのが分かった。

(あのお姉さんは、これを見たんだ。僕の、誰にも見せたことのない姿を)

ベッドに仰向けになり、天井を見つめる。

目を閉じると、彼女の姿がありありと浮かんできた。

店のロゴが入ったエプロン。整った鼻筋。そして、僕の写真を見つめていた、あの静かな、どこか憂いを帯びたような瞳。

彼女が僕の裸を見たとき、何を思ったのだろう。

くだらない、と呆れたのだろうか。それとも、男の子の未熟な身体に、ほんの少しの艶っぽさを感じてくれたのだろうか。

「……綺麗に撮れていますね」

彼女のあの言葉が、脳内で何度もリフレインする。

それはただの業務的なセリフだったはずだ。けれど、今の僕の耳には、まるで密やかな愛の告白か、あるいは僕を誘惑する呪文のように響き始めていた。

「綺麗に撮れていますね。あなたの、その身体」

言葉が勝手に脳内で改変され、彼女の艶っぽい声で再生される。

途端に、下腹部の奥から、今まで経験したことのないような熱い衝動が突き上げてきた。

僕はジャージのズボンに手をかけた。

頭のなかでは、あの暗いカメラ店のカウンターが再現されている。

僕はそこに立っていて、彼女は僕の写真を見ている。いや、見ているだけじゃない。彼女の視線は、写真の枠を飛び越えて、今、ベッドの上で悶えている僕の身体そのものを、じっと見つめているのだ。

あの時、彼女の頬が微かに赤くなった(と僕が信じている)あの瞬間。

あれは、彼女もまた、僕という存在に一瞬だけ、性的な何かを感じてしまったからではないのか。

「あ……っ」

暗闇のなかで、シーツを強く握りしめる。

羞恥という名の強烈なスパイスは、十四歳の少年にとって、あまりにも劇的な媚薬だった。

自分の最も恥ずかしい部分を、年上の美しい女性に完全に握られているという支配感と、同時に、彼女の平穏な日常に「僕の裸」という異物を強引に突き刺してやったのだという、奇妙な全能感。

背徳感の波が、次から次へと押し寄せてくる。

僕はただの「中学生の客」から、彼女の秘密を共有する「共犯者」になったのだ。彼女は明日も、明後日も、あの店で働く。そして、時折ふとした瞬間に、僕のあの写真を思い出すかもしれない。

(思い出すに決まっている。あんな写真、普通は出さないんだから)

そう思うと、もう刺激は限界だった。

頭のなかの彼女が、僕をじっと見つめながら、困ったように、しかし妖しく微笑む。

激しい鼓動とともに、僕は小さな自室のベッドのなかで、言葉にならない熱い息を吐き出した。

それから数日、僕はそのカメラ店の前を通るたびに、胸が締め付けられるような切なさと、奇妙な高揚感を覚え続けた。

だが、再びあの自動ドアをくぐる勇気は、とうとう出なかった。

やがて季節が変わり、僕も高校生になり、街の景色も少しずつ変わっていった。

あのカメラ店は、時代の波に押されるようにして、僕が大学生になる頃には、コンビニへと姿を変えていた。薬品の匂いも、あの静かな駆動音も、そしてあの綺麗な女性店員も、すべては時代の砂に埋もれて消えてしまった。

それでも、僕の部屋の引き出しの奥、古いアルバムのさらに裏側には、今でもあの時のネガフィルムが眠っている。

大人になった今、あの出来事を振り返ると、微笑ましい若気の至りとして処理することもできる。

けれど、時折、雨の降る静かな夜などに、ふと思うのだ。

あの時、彼女が僕の写真をめくった数秒間。あの静寂のなかにあったものは、単なる気まずさだけではなかったはずだと。

十四歳の僕が感じた、あの狂おしいほどの羞恥と、それに続く爆発的な興奮。

それは、僕が少年という殻を破り、大人の男としての、歪で、しかし本能的な性の世界へと足を踏み入れた、最初の通過儀礼だったのだろう。

机の引き出しの奥にある、茶色いネガ。

それを光に透かしてみても、反転した像のなかにある彼女の視線までは読み取れない。

だが、僕の記憶のなかの彼女は、今でもあの煤けたカウンターの向こうで、僕のすべてを知り尽くしたような、あの静かな瞳で僕を見つめ続けている。

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